名作語り「成美会」

NARUMIKAI

名作語り「成美会」とは

2001年より坂井清成氏に、朗読・<語り>のご指導を受けてきました。
2009年坂井氏の前座として初舞台を踏み、以来2019年まで山本周五郎作品を語りました。
10年間前座舞台を務めました後、坂井氏より、「プロとして独立し、自分の会を持ってみないか」と、お薦め戴きました。
2021年旗揚げ公演を開催する運びとなり、会の名前を、「成美会」と坂井氏が名付けて下さいました。
自分の名前を会の名にするなど、駆け出しのプロが畏れ多いと思いましたが、お心を有難く戴くことにしました。恩師の名を汚しませんよう、ご期待にお応えすべく精進する覚悟を肝に銘じもしました。
お心に響く物語を<語り>の手法でお聴き戴きたいと、「成美会」に「名作語り」を冠し 名作語り「成美会」 としました。

名作語り「成美会」旗揚げ公演

2021年3月14日/お江戸日本橋亭
山本 周五郎『青竹』

<作品解説>

余吾源七郎の目立たない奉公ぶりが語られるばかりで、面白みがない物語のように映りますが、思い掛けない幕引きまでお聴き下さい。
『青竹』の意味が明かになり、最後の最後に心の奥底が語られ、胸衝かれるシーンが展開します。
主人公たちの慟哭に、私たちも心揺さぶられ涙せずにはいられません。
純粋な深い愛、相手を真に思う心映えが響く物語。
武士の清廉、男の純真、そして哀しみを抱いて生きる歓びを、ご堪能ください。
 

<花にまつわるこぼれ話>

山本周五郎の作品には、花の名前を冠した物語が数多あります。
その咲き姿から生じる花言葉は、主人公の気質や生き様を彷彿とさせます。
青竹は花ではありませんが、人々が青竹に持つイメージと、主人公の生き様は、この作品でも一致しています。
青竹と聴いて思い泛ぶのは、瑞々しい生命力を宿したしなやかさと力強さ。
天を仰ぐように迷うことなく、すっくと伸び上がってゆくきっぱりとした生育の様子、青々と涼やかな佇まいが、余語源七郎の在り方と重なります。

花を表題とした周五郎作品の多くが、物語の終盤になって、表題と主人公の関係性を明かす構成となっています。
『青竹』では、源七郎が心内を明かす最後の場面へ向け、老いた兵庫に語らせています。
源七郎の人柄を読者に改めて印象付け、結末に納得させる伏線となっています。
兵庫の言葉から、初めて表題の意味を理解し、膝を打つ想いになります。
彼に起こる出来事一つひとつの積み重ねで、その人となりが脳裏に刻まれ、<余語源七郎>という人物が、私たちの中に形作られてゆきます。

源七郎自身は自らを鈍根と称し、青竹のような潔さ・しなやかさとは自覚していません。
気負わず体現できる尊い人柄として描かれています。
終盤、源七郎の家の庭に咲く花として、芙蓉がさりげなく登場。
芙蓉の花言葉は、「繊細な美」「しとやか」。
この物語の紅一点でありながら多くが語られない娘の姿を、芙蓉に投影させています。
朝花開き、夕方にはしぼむ芙蓉。
名さえ明かされぬ娘の、繊細で楚々とした儚げな美しさを、源七郎にまざまざと思い起こさせる花でありましょうか。
青竹がお目に留まり、余語源七郎という気高くも純真を貫いた武士の生き様に、想いを馳せて下さいましたなら、語り家冥利に尽きます。
秋風が吹く夏の名残に、花芯を紅に染めた白芙蓉に出合われました際、儚く散った<娘>がお心に蘇りましたなら、嬉しい限りです。

今後、花を表題とした周五郎作品をいくつか語る予定です。
表題ではなくとも、登場する花について読み解きをしていきます。
 

<季節の時系列で、物語を読み解く>

※物語の内容に触れています。お聴きになってからお読みください。

冒頭は、「夏のはじめ」。
本田平八郎忠勝を送別する宴の席で、源七郎の一件が発覚、何日か後に御前評議。
それからしばらくして、竹岡兵庫の屋敷へ呼ばれ、<娘>と正に一期一会。
招かれた屋敷の客間から源七郎が眺めやる、黄昏時の光景が見事に美しい。
残照をあびた天守にひっそりと翼をやすめている、一羽の白鷺。
楚々と現れる娘の前触れのようなお膳立て。
真っ白な凛と佇む姿は、純真無垢な気高き娘の化身とも思われます。
「昏れてゆく」と表わされた時刻は、娘の残り少ない人生と儚き運命を暗示するかのようです。
見初めたのは、夏の始め。そして、青竹の季節は<夏>。
大きな出来事(命令を無視し、身命を賭して攻め口を確保)は、「夏の陣」。
しかもその時、旗指物に「数珠を描き加え」たのを人々は目に留めます。
娘が亡くなったのも(あるいはそれを知ったのが)、夏の候だったと気付かされます。
こうしてみると、主だった出来事は、青竹の季節に起きています。
その極め付きがラストシーン。
十四年もの時を経て、ひた隠してきた心情を初めて吐露するのは、夏の終わりの「残暑の頃にはめずらしく涼しい秋風の吹く日」。
「庭さきには芙蓉の白い花が静かに揺れていた」ここにも、白の情景。  

白は、清浄なまま亡くなった娘の象徴。
白い芙蓉は花芯が紅のものが多く、頬染めた乙女の恥じらいも連想させ、絶妙。

菊池 寛『藤十郎の恋』

坂田藤十郎 歌舞伎に魂を捧げた生き様の果て
~女の純真を犠牲にしてでも芸道を極めんとする、壮絶な役者魂~   
 

<作品解説>

自ら色好みと称し、様々な女たちを相手に浮き名を流してきた藤十郎。ただ、不義非道なことには、一指をだに染めてこなかったからこそ、芝居国の長者として尊敬されてきたのでした。 
若輩の七三郎に一足取り残されようとした時、稀代の戯作者近松門左衛門に無理を頼み、『大経師昔暦』を得ました。

起死回生を賭けながら、前代未聞の芸題(げだい)なだけに、演じ方に行き詰まってしまいます。
天性律儀な藤十郎が、何の興味も持たずに来た見知りのお梶を手玉に取り、生身の女の反応と相対する男の心の移ろいを、芸に生かさんと目論みます。
生き様に反し人としての矜持を捻じ曲げてでも、芸を極めんとする役者魂の葛藤、芸道を開かんとする凄まじき執念が、物語の核心。

藤十郎とは、馴染み客という距離感で接してきた、名茶屋の女将お梶。
偽りの恋を仕掛けられ、みるみる術中にはまり、女心を燃え上がらせてゆきます。
女将としての無邪気な話しぶりに始まり、畏れ戦く(おそれののく)迷いの中で、消え入るように藤十郎へ本心を問いかけ、一人の女と化し必死の覚悟で事を起こします。
偽りの恋とはいえ、藤十郎は、お梶の身まで弄ぶことはしませんでした。最後の良心とも取れますが、芸を見極めたとなれば、用済みのお梶は路傍の花に戻ったとも映ります。
こうした藤十郎の見せかけの恋の駆け引き、お梶の心模様の移ろいが、最大の山場となります。

藤十郎は、女の純真を踏みにじってまで得た芸の工夫を凝らし、自らが一瞬味わった人妻を奪う罪深さの苦悩を、見事なまでに舞台で活かしきります。  
「藤十郎が茂右衛門か茂右衛門が藤十郎か」と言われる程に、真に迫る演技は、お梶との恋の駆け引きよって体得した、新たな芸の極致。
藤十郎は、役者として息を吹き返し、『大経師昔暦』は大盛況。
関西歌舞伎界に、「密夫(みそかお)の狂言」という新境地が開かれたのでした。

美しくも残虐な生贄となったのが、お梶。芸への貢献と呼ぶには余りにも残酷な仕打ち。藤十郎は、お梶の矜持と覚悟にまで思い至れず、冷徹な役者魂を貫き、生贄へ温情のかけらもありません。
藤十郎の生々しい口説きに女心目醒め、生涯一度の命懸けの恋と、身を焦がしてしまったお梶。
藤十郎の真に迫る言葉にほだされ心許し、貞節を踏み外したと思い詰めます。
お梶にとって、身を任せたか否かは、重要ではないのです。口説きに靡(なび)き、盲目の恋に落ちてしまったこと自体が、取り返しのつかない罪深さ。

歌妓(うたいめ)だった自分を、名茶屋の女将に据えてくれた夫への詫びとばかり、精一杯のけじめをつけます。
藤十郎への報復というより、自分を罰せずにはいられなかった慙愧の念。 
お梶の矜持を知った藤十郎は、「芸のためには」と自らに言い聞かせつつも、深い痛手に折節苛まれる事になります。
路傍の花に過ぎなかった存在が、凄絶な最期と共に藤十郎の心に深く刻まれます。
期せずしてお梶は、命を賭して一矢報いたのでした。
 

<こぼれ話>

これまでの感動路線とは打って変わり、新世界へ挑戦する時の葛藤と修練は、旗挙げ公演に向き合う私にも通ずるものがありました。
何気ない会話にも、京の歌舞伎役者の佇まいが漂わなければなりません。折に触れ観ていた歌舞伎、役者の風情や独特の台詞回しはどことなく心に刻まれたとみえ、イメージ創りに役立ちました。
生まれながらの江戸っ子である私には、京弁の台詞回しは困難を極めました。イントネーションやアクセントを叩き込むのに半年以上かかりました。
クリアできなければ、感情表現どころではありません。
生粋の京育ちの方には、お聞き苦しかったかもしれません。

罠に陥ったのは、お梶が心燃やす恋を知らないまま、乞われて名茶屋の女房になったからではなかったでしょうか。
浮名を流してきたとはいえ、恋にかなり臆病だった藤十郎もまた、これほどまでに真摯な想いで女に迫った、烈しい(はげしい)恋はしてこなかったのでした。
そこに、お梶と藤十郎にとって初めての、焦がれる恋の誠があったようにも思うのです。
始まりは見せかけの恋であろうとも、あのひと時は、真に燃え上がり二人の心は溶け合った。
束の間でも初めて味わう至福の想い、余りに大きな代償を二人共払うことになるのですが。

菊池寛は、耳塵集(にじんしゅう:坂田藤十郎の言行を伝える書物)の一節を題材としてこの物語を書いたと、新潮文庫の注解と解説にありました(原文の記載あり)。
出来事の顛末の短い記述から、これだけの名作を構成する作家の手腕は見事。
折しも、今年2023年は、生誕135年、没後75年にあたります。

名作語り「成美会」旗揚げ公演の二つの演目は、主人公の男たちの生き様が真逆であるという対比が際立っています。
一方、『青竹』が<男の純真>なら、『藤十郎の恋』は<女の純真>と捉えることもできます。
そうした相関性もあり、格好の妙味ある取り合わせでした。
是非、二作品を併せてお聴き下さい。

名作語り「成美会」第二回

2022年3月6日/お江戸日本橋亭
直木三十五賞 第164 回(2020 年下半期)受賞作

「心淋し川」/西條 奈加(集英社)所収

『心淋し川』『灰の男』

※著作権者の西條奈加氏・集英社より、舞台公演・動画作成の許諾は戴いておりますが、Webでの動画公開につきましては、許諾は得られませんでした。私家版動画はありますが、Webでは非公開となりました。

名作語り「成美会」第三回

2023年3月5日/お江戸日本橋亭
直木三十五賞 第164 回(2020 年下半期)受賞作

「心淋し川」/西條 奈加(集英社)所収

『冬虫夏草』『はじめましょ』

※著作権者の西條奈加氏・集英社より、舞台公演・動画作成の許諾は戴いておりますが、Webでの動画公開につきましては、許諾は得られませんでした。私家版動画はありますが、Webでは非公開となりました。